オリジナルとは、オリジン(起源)をたどること

「島に陽が昇る」という本を今読んでいます。

ある島に、戦後の陸軍参謀が、町の悲惨な状況を立て直すべく、町長になり、改革を推し進めたノンフィクションです。

この島というのが、今ぼくたちがいる長島の東側、旧「東町」のこと。

42年前のことから描かれていて、今が過去からの歴史の積み重ねというのを改めて知りました。 東町は、選挙の不正がとくに酷いところだったという話をよく聞いていましたが、この本ではその状況もよくわかりました。

2年半長島に住んで地区と名前がわかるようになって、歴史と人が大事にしてきたものがよくわかるようになりました。

たとえば、庁舎の前に書かれている「長島町民の役に立つ人がいるところ」という文字が、飯尾元町長の時代の名残だということもわかりました。

役に立つ人にならねばという意思の現れだったのです。この本に登場する当時の方々の子供や孫が今一緒にお仕事させていただいている方々なのも面白いところです。だいたい姓と集落や職業でつながりが見えてきます。

 

本の主役である町長をやられていた飯尾裕幸さんが、陸軍士官学校42期のエリートだったということで、この本を書いた飯尾憲士さんが、陸軍士官学校60期なのですが、僕の祖父である土井三吉さんもまた陸軍士官学校51期のエリートだったそうです。

私が生まれる1年前に死んでしまっているので、その姿を見たことはないですが、生きていたら今の話をしてみたいものです。 僕の祖父は、兵庫県揖保郡太子町というところの出身で、いまでも僕の本籍はそこにおいています。陸軍の学校が、神奈川県座間市にあったことから戦後そこに住みついたのが僕の起源です。

 

1937年に本科(陸士)は神奈川県座間へ(航士は埼玉県入間に設置)、予科(予士)は1941年(昭和16年)に東京府内の朝霞へそれぞれ移転。座間の陸士には「相武台」、入間の航士には「修武台」 朝霞の予士には「振武台」の名が、それぞれ当時の大元帥たる昭和天皇から与えられている。

wikipediaより

幼少のころ、慣れ親しんだ小田急線の「相武台前」駅なんかは、天皇から与えられた由緒ただしい名前だったのを今になって知りました。

地域のことをしてみると私の上3つくらいの世代で、大きな時代の変化があって、土地に根付いていた文化や血縁やいろんな大事にしてきたものが、東京・大阪などの都市に磁力によって集まってきたのではないかと思います。

その磁場に対して、ここ近年、テクノロジーの革命や、都市の暮らしの限界や、グローバリゼーションや、震災などのいろんな影響で磁力が弱まってきているような気がします。

これからも移動のコストは限りなく低くなっていくし、海外での仕事をしている友人も多くいるし、地域でやっていてもすぐに東京と往復できるような時代です。自動運転なんかができれば地方の暮らしはより快適になると思います。

もしかすると私たちは、3つくらい下の世代のオリジンをつくる働きをしているのかもしれないなぁと思いました。