土曜の朝は早い。8時からお仕事を開始する。ストイックさを感じる。そして仕事後、トニー宅のパーティーにいく。会話の8割が分からない。ストイックにじぶんを追い込む。夕刻NHKにバイトに行く。ストイックに時間を守る。夜通し、渋谷でじゃんがらと飲む。ストイックな飲み会である。日曜の朝を迎える。カラオケで長渕を歌う。常にストイックである。山手線を一周半する。朝の電車がホテルがわり。ストイックである。カメラ片手にサッカーをする。基本的に足を使うスポーツは不得意。ストイックである。怪我をする。ストイックな精神である。課題とかいろいろ残っていた。ストイックであり続けなければならないのか...

デカルトは、ものの存在を否定することから真実を導き出した。そして、有名なあの「我思う、故に我あり」という名言を残した。先入観などをどんなに否定をし続けても、それを考えている自分の存在だけは否定できなかったことから、自分の存在を肯定し、そこから演繹的にものの真実を捉えた。ぼくはいま、デカルトよりも世の中を疑って掛かっている。「我思う、ゆえに我あり」といえども、昨日までテニサーを疑っていた自分は、いまテニサーに入っていればかわいい女の子と街を歩いていて、もっと楽しく生きれたんじゃないかと思っている。とはいえ、面白そうなネタはいっぱいあるので、みんな見てください。...

はんざわさんがこのブログを見ていたらきっとまた顔を膨れさせているんだろう。僕の近所に住む先輩に終電であった。歳がひとつ違っているけどビジョンのある先輩だ。高校時代は桐蔭でハンドをやっていて、レギュラーであこがれていた。そんな先輩はベンチャー起業家だったりする。まあーそれはおいといて、リクナビに登録はそろそろしたほうがいいよと言われた。とりあえず、お金は掛からないし情報収集はしない意味はないよ。ということだ。新聞を読まない人間は企業はとらないんだって。たしかに時間があったらmixi見てますっていう人間はやっぱり信用ならない。話をきる。僕はといえば、思ったのだけれどこのブログのタイトルの”人間接着剤”という単語。検索すると一発でここに来れる。そして、そのコンセプトであるプラットホーム的な人間というものは、偉人だ。ひとりにマシュー・ボールトンがいる。ルナソサイエティーという意見交換を行うカフェのようなサロンを1800年代に主宰した。自由な意見交換には政治から科学からいろいろなものが含まれる。かれはワットの蒸気機関と時代をともにした。ワットが蒸気機関を炭鉱や鉱山での利用しか考えていなかったときに彼は「わたしは全世界が求めているものを売っています」という売り文句で蒸気機関のちからを世界にひろげた。テクノロジストと権力・動力をつなげたネットワーカーだった。フランクリンという人もいた。1700年代の人だ。本人は「私は印刷工だ」といっていたらしいが、かれの行った業績はスゴイ。図書館の建造、大学の創設、新聞発行、郵便事業など、情報とメディアに関連することにいつも関わっていたらしい。そうやって有識者があつまる場所を提供し、ある人には投資したりして、市民の自発的連合を導き出した。時代を読んで、行動することで他人に働きかけ、共感を得ることで人を動かし、人々が自発的に行動し、結合するための水路を作るネットワーカー、人間接着剤になりたい君死にたもうことなかれ...

「バイト、バイト」とかいって鬼がやってくるCMがあるけど見ていて嫌気がさすね。安い労働力を欲しいのは分かるけれどもテレビCMで派遣会社?のようなところが広告を出して僕らの尻を叩いているような気がしてあーーーー何も考えずに目先のお金がほしいがために毎日、バイトだけの生活をしているのはダメな人間のように思える。苦労してバイトしながら勉強しているひとには頭が下がる。あーーーーーー毎日渋谷まで行って時間に追い込まれながらバイトしているくそ大学生は僕のことであります。昨日、今日、明日、あさって、しあさってすべてバイトです。...

最初に断っておきますがここで別にテニスサークルの批判をしたいわけではありません。もしかするとテニサーに所属されている方も見ているかもしれないので最初にことわっておきます。新勧の時期もそろそろ潮時になり、落ち着いてきて新入生もそろそろ現実が見えてきたころではないかと普通に思う。桜は散りかけて僕の好きな感じになってきた。テニスサークルといえばどこの大学でも王道であり、大学生=テニサー というような印象さえあるのではないか。慶應大学にはテニスサークルだけで50くらい団体があるようだ。しかし、なぜそんなにテニスなのか?テニス自体をやってないテニサーが多いのも知っているけれども、なぜテニスというくくりを持ち出すのだろうか。バスケでも音楽でも強姦でもどれでも本当はいいはずだ。考えてみた。そして仮説を立ててみた。今から40年前、大学生の学生運動がさかんだったころ、学生は社会を変えようと群れをなして議論に明け暮れ共産主義だのうんぬん考えたのだろう。それこそ、当時の教授陣は自分の地位を脅かす学生に恐れおののいたのではないだろうか学生運動も下火にさしかかると、無常な現実を知り、落ち着きを取り戻した学生たちには力のはけ口が必要だった。集まった学生たちに活動の場が必要だった。そこがテニスだったのではないかテニスは非常に安定したスポーツだと私は思う。ネット越しに戦うので接触プレーもないため乱闘になる恐れは少ない。ハンドボールだったら肉体がボロボロになり、けんかが絶えないのでそれは合わなかっただろう。そもそも攻防の激しいスポーツはサークルには向かない。テニスでは審判は少し上の位置から試合を見下ろしジャッジする。この体制は少し上から物事を判断する支配体制を映し出しているではないか。絶対に逆らえないジャッジが上から見下ろしている。もっといえば学生は教授に対し絶対に逆らわず、汗水たらして青春してくださいという考えが反映されているのはないか。いくつもあるテニサーをどこの大学もいくつも公認団体として認めている。そういったことからテニスがこうもコピペをしたかのようにどこの大学でもやられているのの訳を考えて見た。でもそのテニスで友達もできて、飲み会もいけて、大学生活を楽しくできる人がいるならそれは本当にいいことだと思う。おまけに華やかな女の子も多いので言うことなしだろう。僕はそれができなかったから、こういう発想をするだけのことかもしれない。人気アニメ、テニスの王子様の影響でますますテニス人気は増えると思う。個人的には僕はテニスは苦手だし、「みんなと同じことはしたくない」と考えるどこにでもいるような人間なのでテニサーは敬遠しがちだ。今期の木曜5限には体育でハンドボールが開講される。きっと人気がでないだろうから、楽しみだ。...

毎週土曜は僕の仕事の日です。朝8時から厚木の基地にいきます。今日も行ってきました。今日はなにやらお祭りの日で、基地内が解放されていて日本人が仲間でいっぱい入ってきていました。この表現自体おかしいなと思います。日本の中に日本人が入ってくるのに違和感を感じる空間があるということにです。でも、日本人の行動がアメリカ人の行動と違うのはよくわかります。subwayでは好みの野菜からいろいろ聞いていくシステムになっています。<外国人相手の場合>"May I help you ?" いらっしゃいませ"Hello! Can I get a Itarian BMT" こんにちはイタリアンBMTをください"Which kind of bread would you like?" パンの種類はいかがします"Itarian please" イタリアンで"How about cheeze ?" チーズはどうします"American cheese , please!" アメリカンチーズでお願いします"yes" はい"vesitable ?" 野菜は?"everything" 全部で"Any source" ソースは?"mayo please" マヨネーズでという感じに進む<日本人の場合>「いらっしゃいませ」「あのー、1番って辛いですか?」「イタリアンBMTですか?辛くはありません」「じゃあそれください」「パンの種類は?」「えーとやわらかいのください」「どれもやわらかさは同じですよ」「どれが一番でますか?」「イタリアンですかね・・」「じゃあイタリアンお願いします」「チーズの種類はいかがします?」「何があるんですか?」「アメリカンチーズとスイスチーズとプロボロンチーズがあります。」「どれでもいいです」「ではアメリカンチーズをのせておきます。」「嫌いな野菜はありますか?」「辛いの以外はのせてください」「わかりました」という風に進んでいくこの違いは日本人がサブウェイのシステムになれていない点が一点だが、店側としてはなんともうっとうしい。日本人の協調性と慎重派が悪い面で現れるのがサブウェイのシステムである。ソースの種類なんか14種類もあるのでいちいち味を説明していたら日が暮れてしまう。選択の余地があると日本人は困って王道を行こうとするのでは・・・”選択の余地があると”というのは”自由があると”と訳せるのではないかな。自由があるとみんなの行くほうに行こうとする。サブウェイバイトがおわるとNHKに行く。@ヒューマンという夜の番組だ。この番組は視聴者の声をブログで集めたり、web進化論でいったらロングテールの部分の話題を拾い集めてトピックを作ったりしていて面白い番組づくりをしていると思います。今日は村上龍が来ていました。安藤忠雄も準レギュラーみたいだ。ステキであーるこの番組はNHKらしかねるちょっと美人なアナウンサーで視聴者を沸かす。終電にゆられて帰宅してきた。...