テニスサークルについて考える

最初に断っておきますがここで別にテニスサークルの批判をしたいわけではありません。
もしかするとテニサーに所属されている方も見ているかもしれないので最初にことわっておきます。

新勧の時期もそろそろ潮時になり、落ち着いてきて新入生もそろそろ現実が見えてきたころではないかと普通に思う。桜は散りかけて僕の好きな感じになってきた。

テニスサークルといえばどこの大学でも王道であり、大学生=テニサー というような印象さえあるのではないか。慶應大学にはテニスサークルだけで50くらい団体があるようだ。

しかし、なぜそんなにテニスなのか?
テニス自体をやってないテニサーが多いのも知っているけれども、なぜテニスというくくりを持ち出すのだろうか。バスケでも音楽でも強姦でもどれでも本当はいいはずだ。

考えてみた。
そして仮説を立ててみた。
今から40年前、大学生の学生運動がさかんだったころ、学生は社会を変えようと群れをなして議論に明け暮れ共産主義だのうんぬん考えたのだろう。それこそ、当時の教授陣は自分の地位を脅かす学生に恐れおののいたのではないだろうか
学生運動も下火にさしかかると、無常な現実を知り、落ち着きを取り戻した学生たちには力のはけ口が必要だった。集まった学生たちに活動の場が必要だった。
そこがテニスだったのではないか

テニスは非常に安定したスポーツだと私は思う。
ネット越しに戦うので接触プレーもないため乱闘になる恐れは少ない。ハンドボールだったら肉体がボロボロになり、けんかが絶えないのでそれは合わなかっただろう。そもそも攻防の激しいスポーツはサークルには向かない。
テニスでは審判は少し上の位置から試合を見下ろしジャッジする。この体制は少し上から物事を判断する支配体制を映し出しているではないか。絶対に逆らえないジャッジが上から見下ろしている。もっといえば学生は教授に対し絶対に逆らわず、汗水たらして青春してくださいという考えが反映されているのはないか。
いくつもあるテニサーをどこの大学もいくつも公認団体として認めている。

そういったことからテニスがこうもコピペをしたかのようにどこの大学でもやられているのの訳を考えて見た。
でもそのテニスで友達もできて、飲み会もいけて、大学生活を楽しくできる人がいるならそれは本当にいいことだと思う。おまけに華やかな女の子も多いので言うことなしだろう。
僕はそれができなかったから、こういう発想をするだけのことかもしれない。

人気アニメ、テニスの王子様の影響でますますテニス人気は増えると思う。

個人的には僕はテニスは苦手だし、「みんなと同じことはしたくない」と考えるどこにでもいるような人間なのでテニサーは敬遠しがちだ。

今期の木曜5限には体育でハンドボールが開講される。
きっと人気がでないだろうから、楽しみだ。