わたしという檻の中で

井の中の蛙、大海を知らず。

という言葉がある。あるときのはなし。
豚小屋の前を通りがかった。

目の前にいるブタにとっては、この檻が世界を規定する。
目の前の柵の先にどのような世界が広がっているのか知らない
彼らはきっと食べられるために生まれてきていない他のブタを知らない
想像力はその柵を超えられない

金魚鉢の中の金魚は、川を知らない。
世界はその丸い球体。
外から覗き込む人間を知りえない。

そんな彼らを、人間はあるときはかわいがり、あるときはかわいそうだと思う。

私はといえば、僕の想像力のおよぶ範囲までしか知り得ない。
月まで、いや海王星までくらいしか知りえない。
想像力はその先には進まない。

レベルは違えど、ブタとさほど変わらない。
教育や生活環境が僕の世界を規定する。

あるとき思った。
ブタは幸せなのかも。

勉強することは、知りえない世界が広がるということ。
ブタは幸せかも知れない。
彼らは満足の柵を越えないから。

僕は気づいた。
勉強しなければ幸せも小さく叶いやすい。
ここでの勉強というのは学校教育をさすものではない。
日々の活動その他をさす。

そして、私はそれでも勉強することをやめられない。