携帯から考える

iPhone4Gが発売になって話題が殺到しているところ、僕は名前のみにていたJ-PHONEに思いを馳せた。

僕とJ-PHONEは中学3年の冬に出会った。
j-sh02.jpg (6007 バイト)
最初に出会ったJ-PHONEはこんな奴だった。2000年のことだと思う。
当時の最先端で、液晶がなんとカラーになったと驚かれていたんだ。
まめぞうという今でいうゆるキャラがJ−PHONEのキャラとして定着していたことをおぼえているだろうか?
こいつは愛らしい奴で、毎日相模大野の塾に持っていってたんだ。
しかしこいつの所有者は僕じゃなく、僕の母親だったんだ。
家族の所有物として、遠くに行くときにだけ持たされ、隠れてメールをしては
恥ずかしいメールなんかはこそっと消しておく。そんなつきあい方をしていたんだ。
中学の卒業と同時に私はこの携帯と出会った。
今はあるのだろうか?KENWOODである。
銀色が最先端でしかも折りたたみ式。折りたたみなんて最先端もいいとこだ。
なぞに鏡のような部分もついているしかっこよさは半端無かった。
しかし使い心地はあまりよくなかったような・・・
高校1年はこいつと一緒にデビューしたんだ。
あの頃はメールを打つのにもドキドキしていたんだよなぁ
たしかこのケータイは無くしたか壊したかなにかで携帯の番号ごと変わったような
思い出がある。
ちなみにこのころのアドレスは「japanet-takashi@jp-t.ne.jp」(ジャパネットタカシ)であった。
(jp−tを調べるのにググってしまった。昔の住所を今は知らない。まるで旅人)
しゃしゃりだすことで定評を得た私は、当時の人気モデルのSHARP製に浮気した。
だってカメラがついたから。
思い出を取りためられるなんて素敵だなぁと思って変えたのが高校2年だったような。
写メールという言葉の最先端を走っていた。
高校卒業前にJ-PHONEはvodafoneになった。
わたしのアドレスもjapanet-takashi@t.vodafone.ne.jp
に変わった。
当時の携帯は上図の白いバージョンだった。たしかワンセグではなくて地上波が見れるという
ことで話題を呼んだモデルだったと思う。
ぼろぼろになるまで使い込んだ。というか、携帯を変えないポリシーなどを大学時代はもって
いたような気さえする。
こんな僕が2007年に満を持して買った携帯がこの全面が画面になっているSH915
FULLFACEである。
しかもこのエメラルドグリーン
おしゃれである。おしゃれ過ぎて自慢したこともあったと思う。
たしか最後の方はどこかで落として液晶が割れてた気がする。
softbankになっていたけど、僕はあいかわらずvodafoneのアドレスを使い続けた。
こいつとは長い付き合いで大学も一緒に卒業した。
しかし別れは突然やってきた。
わすれもしない社会人1年目の6月。
無邪気に私は、多摩川でBBQたるものをしていた。
肉をほうばり、川で泳ぎ現を抜かしていたのだった。
そして失った。
すべてを失った。
肌身離さず持っていた携帯とともに財布、ipod、家の鍵、すべてである。
そしては私は髪を丸めた。
2008年6月のこと。
そして、私はそこでようやくiPhoneに出会ったのだった。
3Gの初期であった。
アプリもあんまりなくて、メモリの移行とか超大変だった思い出がある。
この機種変更から、きわめてメールの量がへった。
いやまめぞうのころからずっと減り続けていた。
しかしiPhoneになってきわめてメールの返信率が落ちた。
自覚もある。タッチパネルはめんどくさい。
3Gは3GSと比べて、反応が遅い。
しかもアドレスをなぜか3つも連携していたので、やたら受信も遅かった。
ちなみに、私は、ipodとiPhoneをそれぞれ、doipod doiphoneと名前をつけている。
doipodに関してはdoipod3までいる。
そんなiPhone1号も今はスピーカーが壊れて、右側から音がでない。
やはりiPhone4は魅力的だ
2年も使ったから買い替えようと思う。
iPhoneでmovieの編集ができるのが魅力的だ。
どんな街でどんな映像と出会おうかな。
そろそろ自分の人生の半分を携帯と過ごしていたことになる。
形を変え、機能を変え、携帯は僕と僕のまわりの人をつないで来てくれた。
J-PHONEからiPhoneへ
ちょっとした回顧録である