長崎の造船場にいってみた
長崎に予定があって11月末に行ってきました。
長崎は近くて遠い場所だったので実は人生で初めて行ってみました。
長崎市は、三菱グループの会社ばかりで、城下町になっているのだと改めて思いました。なんでそんなにひとつの企業がつくっているのかということで友人のお父様が三菱重工のOBだったのでガイドしていただきました。
1、地理的な歴史
地図からみると中国大陸に対して、入口のように開いている日本の入江が長崎なのでした。この地図の中に、坂本龍馬の海援隊の会社があったところとかみると当時の海運業が世界を見る上で大切なことだったのだと思いました。今でいうと空港とどれだけ近いのかということでしょうか?
2、エネルギーの歴史
なんでこんなに発展仕方って言うと、軍艦島が理由らしいです。
僕は、軍艦島は横須賀の猿島みたいに日本軍の要塞とかがあったものだと勝手に思い込んでいたけど、全く関係なくて軍艦に遠くからみるとみえるだけらしいです。
ここがすごくいい石炭がとれることで長崎に船はいっぱい荷物をもってこれたらしいです。今で言うと、空港の横にジャット燃料がいっぱい湧いているようなものです。
当時はここには楽園があったらしいです。最高級の家電をつかった贅沢な暮らしがそこにはありました。
それが今となっては廃墟になっているのです。時代は変わりました。
3,歴史の今
だから、岩崎弥太郎とかががんばってここで商売していたんでしょう
造船業が石炭の時代から石油の時代に変わり、軍艦島は廃墟となりました。造船業は三菱重工が船をつくっていて日本の護衛艦とかをつくっていてその迫力はすごかったです。
写真をいっぱい取らせていただきました。
燃料がはいるタンクのつくってる途中の中ではしゃぐ私
外からみたらこんな感じ
設備が超大きい
今つくっているアイーダ・パーラという超豪華客船。
ドイツの会社が買うらしいのですが、18階建てで中はテーマパークのような仕上がりだそうです。
受注額が1000億円で、つくる費用が1800億かかったそうです。つくるだけで800億円の赤字とはすごい世界なのだなと思いました。
1800億円というと、ウェブの仕事とかしていると実業がわかないのですが、こういうものになるのですね。
とにかくでかい。
写真を撮らせていただきました。
地政学的な歴史を考えるのには、やっぱり見てみるのが大切だなと思いました。
まとめ
歴史はエネルギーのパラダイムシフトで大きく変わるのだと思いました。
石炭から石油、船から飛行機へ技術革新が起こっていく裏側でその街がどうなるのかという歴史を変えていくのだと思いました。
半世紀ほど前に、太平洋に浮かぶナウルという国では、リン鉱石がいっぱいとれて誰もが外車を乗り回し、仕事をしないで、医療費もガソリンもなんでもタダという最高の国だったと聞きました。それがリンがとれなくなって、今は廃墟のようになり取り残された国民は贅沢な生活を抜け出せず、デブばかり。
その日本版が軍艦島なのではないでしょうか?軍艦島の廃墟を見るために、多くの観光客が押し寄せているそうです。
そこに何を見るのでしょうか?
とても勉強になりました。
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