コミュニケーション

今日は演劇教育の講演をききに渋谷に行ってきました。

本来の教育は知識の伝達が重要なテーマだったけれど、これからの社会で必要になっているコミュニケーション能力が近年の若者にすごく低下しているように思えるため、教育プログラムに演劇を導入して、意識を変えていこう!!というものだった。

近頃の若いものは・・・
っていうフレーズに違和感を感じた私はシンポジウムが終わった後、社会学者の宮台真治さんに質問しにいった。

「近年の若者が特にコミュニケーションができないというのはどのようなことから言えるのでしょうか?」

「それは私のフィールドワークの中ではっきり分かるよ。若い女性の欲求不満が増えているんだ。満たされるSEXをしていないからだよ。分かるかい?コミュニケーションの本質はセックスで現れるからね・・・・」

(たしかに満足いっていないのかもしれません。僕も満足していませんし)
とは言えず、なぜか納得してしまった。
コミュニケーション教育はたしかに学校では教わっていない気もする。中学高校で勉強をした覚えはほとんどない。しかし、部活動の思い出はたくさんある。あの経験があってこそ僕にはコミュニケーション能力がついたと思っている。集団協議は自分の欠点や能力の限界を嫌でも感じてしまう。だからこそ他者へ依存する部分と自分で解決する部分を直感的に理解していくものだ。

そして、宮台さんは最後に言っていた。

「若い人の中で幸せのイメージを持っていない奴はバカだ」

幸せのイメージを持っていないのは僕のことだった。
さっき夜の街で両親と3人のこどもが楽しそうに歩いているのを見た。もしかするとあれが幸せのイメージかもしれない。

「本当にすごい奴は人を幸せにできる人のことだ」

そう宮台さんは言っていた。意味を解釈するとSEXで相手を満足させることなのだろう。

まだまだ僕には足りないものだらけだと自戒するのであった。

それにしても教育学者や官僚が「sexをうまくするコミュニケーション教育を実践したいんじゃー」というのにはなぜか共感してしまった。

授業の実習でラブレターを書くようなワークショップがあったらよかったな。