ポストコロナを考える
今は、戦争中だ。
2019年と2020年では世界は変わってしまった
世界を見ると、グローバリズム・インバウンドの流れ、国境はなくなっていったし、毎年海外旅行にいっていて世界のどこいっても、都市部の景色は変わらないし売っているものも似ていた。
ローカルを見ると、2拠点居住・関係人口・移住などが注目されてきたテーマだった。
新型コロナウイルスが与えるダメージを、だれも全体を想像できていない。ただ一つ言えるのは世界は変わってしまったし、戻ることはないということだ。
フランスの社会学者のデュルケムの”自殺論”という有名な本がある。コミュニティ学とかをかじっていれば必ず出てくる名前だと思う。
彼は個人が共同体から孤立している社会において自殺が増えるということを証明した。連帯こそ自殺を防ぐ方法であり、戦争中は共通の目的がある社会であり、自殺は極端に少なくなる。
ロバートパットナムの”孤独なボウリング”も有名な本だ。ソーシャル・キャピタルを数値化して証明した論文である。アメリカ社会のコミュニティを調査したものであって、地域のつながりが地域の資本だと証明した。日本人にはあまり分からない感覚だけど、昔に比べてひとりでボウリングにいっているが多い地域は、社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)が失われていて危ないという警鐘を鳴らしたものだ。
冒頭で、いまは戦争中だと書いたが、感染を防ぐためには、社会を分断して、コミュニティをなくしていかなくてはならない。共通な目標「感染症をなくす」というものはありながらも、TwitterなどのSNSでは、不安なニュースと政府や他人を非難するニュースばかりだ。
私が懸念しているのは、ポストコロナにおいて経済的な損失もそうだが、失われるコミュニティやソーシャル・キャピタル(社会関係資本)の分断についてである。
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