年始のご挨拶

すこし落ち着きまして、ようやく日記を更新いたします。

年末年始は、鹿児島・沖縄と南九州にずっと出ていました。

ホームが鹿児島にあることもあり、ぐるっと鹿児島を車で回ってきました。

長島から南に100kmくらいいったところにある3日には知覧にある知覧特攻平和記念館に行きました

沖縄では、学徒動員によって戦争にいった女学生を祀るひめゆりの塔に行ってきました

退職しました

退職のお知らせ 2015年07月31日号

LUXA ルクサ 07月31日 土井、ルクサやめるってよ 号外

2011年4月に入社させていただき4年間、ルクサの成長と自分の成長を体験することができました。次のステージでも飛躍を続けます。

写真
2010年の10月25日に、一通のメールが僕とルクサとの出会いでした。
当時24歳、社会人歴3年目の私は当時渋谷の雑居ビルの4階にあったルクサのオフィスを訪れました。
まだそのころはルクサとビズリーチは一緒のオフィスで働いているころです。
前職は社員数5000人くらいの楽天という会社だったので、その規模の会社しか知らなかった私は

「これぞベンチャーか」

と、デスクを囲んでの全体会議など、まったくの別世界にびっくりしたものでした。

その中でも、記憶に残ってるのはトイレです。
NT渋谷ビルの時はトイレが1つしかなく、だれかが入ってると止められない便意をそのままに近くのセルリアンタワーに駆けこむ日々でした。
ルクサがクロスタワーのようなところに移転してトイレが充実している環境で働けるとは思っていませんでした

村田さん、新津さんも今まで出会ったことのない人種でした。

ふたりのただならぬ雰囲気に恐れおののきながらも、この会社でやっていくぞ!と決意を堅めました。

入社した2011年には物販チームの立ち上げを行いました。
商品を仕入れて、売って、配送する、一連の流れを自分たちで深夜遅くまでやる日々は辛くも楽しかったと思い出です。
当時から一緒にやってる物販チームの皆さんには多くのことを学ばせていただきました。
本当にありがとうございました。

2013年に私は一度、会社を休職しました。

将来、政治を志している私は、
「ネット選挙のプロデュースをやりたい。そのため仕事を3ヶ月休ませて下さい」
と相談したところ、
「いいよ」
と寛大に送り出してくれたことには今でも感謝しています。

復職した2013年9月から、ルクサリザーブお立ち上げに参画させていただきました。
ゼロからのサービスの立ち上げをやったことがなかったので、そこからの2年弱は本当に沢山のことを学ばせていただきました。

メンバーにも恵まれ、ルクサリザーブが2014年3月にオープンして、1年やってくることができました。
しかし、まだ収益を出すことができていないサービスです。途中で抜けることになって申し訳ございません

当時から一緒にがんばってるメンバーが本当に成長してくれて十分に任せられると思い、このタイミングで入社当時から考えていた自分の会社をやっていこうと心を決めました。
本日7月31日を最終出社日として、8月からは原宿で仕事を始めます。
まちづくり、IT、政治、NPOなどをテーマに新しいサービスの開発と商売をやっていこうと思っています

最後に、20代の後半をルクサというエキサイティングな職場にいれたことを誇りに思うとともに、心新たに頑張って行きたいと思います。

あっ、最後にわすれていました。

今後はルクサのいちファンとして、ルクサの発展を見届けていければと思います。
みなさまのご多幸とご健勝を心からお祈りいたします。

(担当:土井)

写真

詳細を見る

このメールは自動配信メールのため、ご返信はお受けできかねます。あらかじめご了承のほどお願い申し上げます。
株式会社ルクサhttp://luxa.jp/
Copyright (c) LUXA, Inc. All Rights Reserved.
●お問い合わせ
http://luxa.jp/lx/inquiry/
【Facebook】 ここだけの情報も!
http://www.facebook.com/luxajp
●お知らせメールのエリア変更・配信停止
https://luxa.jp/lx/mypage/account/melmaga/

過去のブログ(GREE)をwordpressに戻してみました

私のブログの遍歴は、2004年から始まります。

当時書いていたブログがこちら

http://blog.livedoor.jp/t04581td

それから、2006年くらいからmovable typeが流行っていたのでそれを大学のサーバーにいれて動かしていました。

しかし、大学卒業後すべての日記は消えてしまいまして、それはもったいないことをしたとおもっていました。

そしたら、当時RSSでmtで書いた日記をGREEに飛ばしていたことがわかりました。

GREEからデータを抽出する方法なんてなくて、問い合わせても返信もないし、そもそもGREEがコミュニティサイトだったこともみんな忘れてしまったんではないかというところです。

それで、最近勉強して覚えたRubyで、スクレイピングして、データをCSV化してWPに無事ダウンロードできました。

http://liginc.co.jp/web/wp/plug-in/58046

ここを参考にしました。

本物は続く。続ければ本物になる

私の育毛活動日記ですが、結構いろんなところで好評いただいておりましたが、最近更新ないねとか言われていたわけでして、ただただいろんな仕事だったりにかまけて更新できていませんでした。でも人知れず私は、育毛活動を続けていたのです。

妻の次に、髪の毛を大事にしている私は、毎日頭皮をマッサージするようにシャンプーしてみたりしています。

月に1回クリニックに通うのですが、昨日は全国統一地方選でしたが、投票行って病院にいって、選挙会場に行きました。

写真をクリニックに行くごとに撮影するのですが、その途中結果をご報告したいと思います。

上が2015年1月21日の初回の撮影日です。20代とは思えないおでこの広がりをみせています。輝かしい将来を、祖父の遺伝子より約束されてきた私は圧倒的に誰よりも前進してしまっていました。

※後頭部はあまり変化がないので右の写真の方だけみてください

2015年1月21日

それから3ヶ月、飲み薬とスプレータイプの薬を続けてきました。騙されたような日が2ヶ月ほど続きました。何も変化しない日々。変わらない日常。

「どいちゃん、育毛活動どうよ?」

みたいな話をいろんな場所でされても大した面白い話もできずうつむくだけの日々が続いていました。

しかし、2ヶ月後くらいからたしかに抜け毛がへるなぁ。髪が伸びたなぁと思っていたわけです。

そして、下の写真が昨日の写真です。

2015年4月26日

 

すこしM字のおでこに産毛が生えてきてような気がします。

kaminoke

わかりにくいので、並べてみました。

私の尊敬する先輩の格言があります。

「本物は続く。続ければ本物になる」

 

fuzkueという店

pict_001-e897d1ebc93e2a9201fbb8176412a49a

初台駅から徒歩20秒にあるfuzkueという店に行ってきた。

このお店にはルールがある。

食べログにもあるとおり、持続的な会話・学生の受験勉強およびエントリーシートの記入は禁止されている。

それに、メニューに金額を設けず、お客さんが感じてくれた価値を払ってほしいという思いから始めている。最近定価をつけるようになったらしいのですが、実際はらう金額はお客さんに任せるという。

一方で、一日の売上目標が4万だとか、飲み物の定価は原価に600円くらい足した金額だとかうんぬんかんぬんをメニューの前に長々と書かれているのだ。なんともめんどくさい店である。が、とても静かで、時間を忘れられる素敵な場所であった。

店主とは旧知の仲なのだが、彼はボーナスがいくらだとか出世がどうとか気にしない。

好きなことをして、好きな時間をすごして、ダメだったら、変えていく。

そんな彼のつくってくれた野菜の定食は、学生時代に彼の家でごちそうになったあの味だった。

1月5日

情報発信をすると色々アドバイスとチャンスをくれる方が多くなってきました。

IMG_0442.PNG

私の髪が研究の礎になりそうです。

IMG_0441.JPG

ハゲ薬の名前と種類を勉強してきました

先日、製薬会社の方とお話する機会があったので、ハゲ薬について教えてもらいました。

日本でお医者さんが処方する薬の多くはこの2つらしいです。

また医薬品としてドラックストアで買うことができるものはリアップ(第一類)だけです。こちらは私も前職で医薬品のネット販売解禁の署名活動などをやらせていただきましたが、その結果、楽天でも買うことができるようになっています。見たところ一番安く買えるところがコチラなのでリンクを貼っておきます。定価が7400円なので、楽天だと少し安く購入することができます。

ちなみに現在、なぜかamazonでは購入することができないようです。医薬品の販売にはかなりシビアな部分があるのだと思われます。調べてみてください

 

ハゲ薬

現在、民間で処方されているハゲ薬は、飲むタイプのものです。

これは前立腺肥大症(ちん●の尿道が大きくなってしまうおっさんによくある病気)の副作用して発見された成分で、病気だと診断されると医療費3割負担で処方されるらしいですが、20代で発病することはほとんどないらしいです。自由診療になると1万~2万円するそうです。(のちほど、もっと詳しくリサーチします)

ハゲ薬の2つを教えてもらいました。

プロペシア

002625_propecia_usプロペシアはMSD 株式会社(旧万有製薬)から出ている商品で、お医者さんで処方される薬です。月3万円くらいの費用がかかるようです。

アボルブ

avolve

こちらは、アボルブという薬で、大鵬薬品から出ている商品です。
前立腺肥大症と診断されると3割負担で手に入れることができるらしいですが私はゲットできなそうです。病気と診断されるには若すぎるようです。

疑問点

よく薬をつかうと男性ホルモンが減って、勃たなくなるという話を聞きますが、関係ないそうです。人によっては強くなる人もいるらしいです。もう少しリサーチを進めていきますが利用者がいたら教えてほしいです。

ちなみにED治療薬は?

この3つの薬があるらしいです。よく聞くのは、バイアグラですが3つあるようなのでちゃんとチェックしておきたいところです。

バイアグラ

url
もっとも有名なバイアグラは、私のいとこも働いているファイザー製薬の商品です。

レビトラ

LEVITRA20

レビトラは、バイエル薬品から出ているED治療薬です

シアリス

 

cialis01

シアリスは日本新薬から出ているED治療薬で最強らしいです。

性的興奮がないときは普通で、36時間持続するらしいです。

日本メーカーもすごいですね。

 

総じて、私は製薬会社の名前を知っていても、どのメーカーがどういう商品を出しているのか、また知っている言葉が成分なのか、薬の商品名なのか知りませんでした。

その商品の裏側には、多くの研究者の血と涙の結晶なのだと思います。知らずに批判することなく進みたいと思います。

本日、ビズリーチ・ルクサの南さんが、プロペシアを強く推薦していただき1ヶ月分の薬代のスポンサーになってくれると声をいただきました。南さんもハゲに関する知見が深く、非常に心強いです。

これからも情報をくれる方いらっしゃったら是非教えて下さい。

 

(ちなみに、すべてが私の事実誤認の場合もありますので、そのあたりはご配慮ください)

Story of self

コミュニティオーガナイジングワークショップを通じて自分のストーリーが共感をうみ、活動を推進していく、そういう言葉のチカラの片鱗を感じました。
私は自分語りがとても苦手で自分の価値観(なぜその行動を起こしたのか。という疑問に対する答え)を語ることを避けてきた。

誰も興味がないと思うが、今日、私たちのやっている社会創発塾の若人に私の内面を当質問をしていただき、気付きがあったので書き示そうと思います。

IMG_0532



普通コンプレックス

私は2つ上の兄と1つ下の弟との3人兄弟の次男です。

兄弟の中でも一番、内気で運動神経もよくなく、どこか劣等感をもっていた子どもでした。

小学生の頃、活発な兄と弟は近くのスイミングスクールで水泳を習い、市内の大会で活躍する中、私は幼稚園児の頃にスイミングスクールで水面に顔をつけることができず、スイミングスクールを逃げるようにしてやめた記憶が今もあります。私は今でも泳げません。

スポーツが得意な兄弟と比較して、気弱で運動神経もよくない私は自分の活躍する場はきっと違うんだ。そう思って、ずっとピアノを習っていました。しかしピアノも対してうまくありませんでした。加えてピアノを習うことは女の子のやることだという周囲の目線があり、ずっとピアノを習っていることは学校の友人には話すこともありませんでした。

中学校の頃、流行っていた漫画の影響でバスケットボールに入ることにしました。。2つ上の兄は、その中学校ではバスケ部のキャプテンで風格もあり、人望もありました。そんな兄に憧れたのかバスケ部に入っていつかはそういうプレイヤーになるんだと思っていました。中学に進学すると、「土井の弟」ということで先輩からは親しく接してもらいましたが、バスケットボールはうまくならずスタメンも後輩に取られてしまいました。兄が卒業すると、今度は弟が入学してきます。「土井のお兄ちゃん」ということで後輩とも、親しくなるのですがそこでも私は中心にはいませんでした。

高校は兄弟とは違う高校に行こうと思うようになりました。学区内で一番の進学校とは、同じところには行けないので隣の学区(当時の神奈川県の公立高校は学区制度が敷かれていました)のトップ校に進学しました。おなじ中学校からきた同級生は一人もいませんでしたし、兄を知るものもいませんでした。

私は、5人しかレギュラーになれないバスケットボールをやめて、マイナーなハンドボール部に入りました。同期がみんな初心者で、切磋琢磨し合える仲間に出会いました。校風も制服がなかったり、テストの実施も生徒が決めるような自由な学校で、本当の自由を手に入れたような気がしました。新しいことを始めること、兄弟とちがうことを好きにやることの楽しみを見つけました。

そして大学受験が近づいてきました。

2つ上の兄は、偏差値が高いと言われている慶應義塾大学に進学していました。兄と同じ学校には進みたくないと思っていた私は、高校のすぐ近くにあった国立大学を志望していました。そこの受験の時に私は風邪をこじらせてしまい、雪のふるなか腹痛と戦いながらセンター試験を受け、テストを途中退室してはトイレに行った記憶があります。国立大学の受験に失敗した私は、理数系でも受けられる私立大を2つ受けて、合格したのが慶應義塾大学SFCでした。また兄の通った道に戻ってきてしまったのです。

幸いなことに学部のキャンパスは違い、学校の雰囲気も違いました。ITと専門分野を超えた学問領域を取り入れるSFCは私には、とても新鮮でした。国籍もちがったり、完全なるおぼっちゃんもいれば、いかれたAO入試ではいってくる人もいて、そこはみんな個性あふれる人ばかりでした。

そんなことを大学生のころ記事にしていただいたのが上の写真です。学生のころに作ったイベントとその論文が入賞したことを取り上げていただきました。

一部抜粋して書きたいと思います。

IMG_0534

”僕は普通の神奈川の県立高校にかよっていました。本当に普通の高校生だったと思います。なによりも部活に熱中していましたね・・・・でもそういうことって皆やるじゃないですか。普通だなって思ったんです。「普通コンプレックス」でしたね”

”進路に他する考え方は独特な目線を持っていた。「僕は数学がものすごく得意だったんです。本当に自慢できるくらい。でも、どうもコンピュータとかそっちには興味が持てなかったですね。それに入学してそのまま将来ががきまってしまうようなところが嫌だったんです。工学部に入ってエンジニアになっっとか、そういうのがちょっと怖くて。それで分離両方受けられるところを探してSFCを目指したんです」”

大学生のころから、私は好きなことをやりました。アラビア語を専攻して、語学研修にいったり、プログラミングと電子工作で作品をつくったり、仲間とヒッチハイクをしたり、映画を作ったり、本当に楽しかった毎日でした。新しいことや先人がやっていないことをやることは、比較することではなく純粋に楽しいと思いました。

新しいことに挑戰するときは比較するものではないと思います。今ベンチャーであたらしい事業づくりをしたり、新しい組織をつくって仲間とプロジェクトをやったりする。その原点はここにあるのだと思います。