遠吠え

合理的な選択とはハーバードサイモンのいうところ3つのことが言えるらしい。
当たり前のことではあるが、
?十分な選択肢の集合があること
?選択肢を選ぶ基準が明確であること
??によって?の集合から選択肢を選ぶこと

以上を考えてみて、僕がいままでいかに合理的に生きて来れなかったのか考えてみた
いままでそしてこれからも選択肢はあまりなかった。今、「あまり」を変換しようと思ったら「甘利」になった。最近、入閣した経済大臣の甘利明の顔が一瞬浮かんで僕はなえた。
50年体制だかなんだか知らないけど、近所にある自民党の甘利明のポスターでは彼の鼻の穴に画鋲が突き刺さっていて見るも無残な形になっている。

いや、そうだ。合理的じゃなかったんだ
選択肢は限られている。いつも寡占状況だった。
高校時代は盲目的な部活動に、教えられる一方的な価値観。
新聞は読むも、現実身を帯びていない。

つまり、選べる進路の選択肢もおのずと制限されているし、選択の価値基準もいつも与えられたものでしかない。
そういうことを考えれば考えるほどバカらしくなるわけで、何も考えないで右に倣えって感じで人と同じことをしていけば楽だろうと甘っちょろいことをいったら、おっさんにサラリーマンほどストイックな職業はないぞ!と杭を打たれました。

でも、まわりはサラリーマンになる準備をしていて、インターンとかボンターンとかいろいろ実は動いてたわけで驚かされるばかりであります。

本当の自分なんて、とかそんなことは言わないけど、戦中、戦後を必死に生きてきた先祖に恥じない生き方をしたいものです。
そして何よりも純情きらりが最終回を迎えるのが何よりも感慨ぶかいです。