ロックから環境へ

ロックでないやつぁろくでなし。
http://www.rocknogakuen.jp/

に行ってきた。分かった事は箭内さんは博報堂時代は相手にされなくて、独立しておもしろいことを仕掛けているが尻の穴、アナルがかゆくてかゆくてしょうがないおっさんということであった。

今日は企業と環境展に行ってきた
http://www.eco-plaza.net/mecc/eco-…

結局、人間の活動は消費からしか捉えられない。
評価システムや目標値も、効果をしめす唯一の基準となりえない。

環境報告書はどこの企業もひどいものだ。
だれのために発行するのか。
だれのためのCSRなのか。

そんなことを考えるより、あしたをかんがえることにしよう

財布

財布を落とした。

テンションが高くなりすぎたせいだ。

江の電の七里ケ浜あたりでStand By Meのまねをして線路を歩いていたせいだ。

財布が車にないことに気づいたときにテンションが一気に下がった。

そのあと財布を探した

線路の上に財布が落ちているのを発見してテンションが一気に上がった。

アップダウンの激しい日には

ウーロン茶とカレーがよく合う。

ひびき

Mr Childrenの楽曲が昔は好きだった。
そう昔である。

なぜ、むかしは好きだったのに今は靡かないのか説明するのが難しい。

ネットサーフィンしていてミスチルの”ひびき”という楽曲のPVを見た。
シーンは入社式からスタートする。
この時点で自分の半年後を重ねてしまう。
そして高校生の恋に回想する。

入学式の出会いから、デートした日々。そして別れ。が彩り鮮やかに描かれる。

誰もがこのような経験をしている。これにまた自分の高校生を重ねてしまう。

そして締めくくりは、社会人になった2人が思い出のさくらの下で出会うところで終わる。

たしかに分かる。
分かるが、なんかなぁ。なんだかなぁ。

描かれる世界はこんなにも平坦でどこにでも溢れてるものなのかなぁ。
みんなこんなだったら、それはなんだかなぁ。

多様性と共通性。
ミスチルの楽曲が共通性に偏っているのが僕はう?んって感じなのかもしれないな。

村上龍の「すべての男は消耗品である」というコラム集は痛烈である。
ブスは論外だ。内面を磨けば顔面も美しくなるというのは大嘘だ。
という文から始まる。きわめて痛烈に批判する。

そういう意味からいうからいうと、ミスチルが描く楽曲が大衆化され、ブスの心に響いている。そして僕のような醜男にも響いている。それが虚しいのかもしれない。

虚しい。

そう、ミスチルの曲は昔は”憧れ”を感じたのであったが、今は”虚しさ”を感じてしまうのだ。