東京電力社員の年末ボーナス支給額が37万円だったことについて考える

この前の談話の中で、東京電力の年末のボーナス支給額が37万円だったことに対して
議論が白熱したので、その思考プロセスを書き留めておきたいと思う。

2つの主張がある。
1つは、前代未聞の放射能汚染という事故をおこし、今もふるさとに帰れない人が
何人もいるのにボーナス支給とは何事だ。それに、今後の負債が尋常ではなく、10兆円とかの負債を負わざるを得ない、会社としては大赤字なのに社員にボーナスいれている場合じゃないだろう。

というもの。

もうひとつは、この事件は誰も想定できていなかったし、そこに勤めている社員は
悪意を持っていたいた訳でもなく善良な社員であった。守るべき家族もいる。
それなのに、この震災後、バッシングの対象になっていて、さらに給料も下げられたら社員のやる気は落ちるし、優秀な人はどんどん会社を離れるという主張で

あり、もっとボーナスをあげてもいいのではないか。というものでした。

 

感情論になれば、1つ目の主張がまかり通るし、特にマスメディアや週刊誌の論調は
上記のようなものだ。私も考えもなく見出しだけを見たら、けしからんなぁと思ったと思う。

民間企業に勤めていたら、会社が赤字ならボーナスでなくて当たり前だろうというのは
わかる。というよりも自分もそうだし。
電力会社が本当の意味での私企業だったのかという問題。会社の構造がどうとかそういうのではなくて、社員とか関係者の共通の認識として。

社会や組織の統治には、3つあるという。
1つ目は法律とかルールで物事を決めて運用する方法。(ガバメントソリューション)
2つ目はお金によって競争してもらって、うまく回す方法。(マーケットソリューション)
3つ目は当事者たちが自分たちで運用する方法。(コミュニティソリューション)

今回は2番目の、お金による競争原理を電力会社ができるかということ。
送電線の開放して、いろんな企業が参加できるようになど声が上がっているのはいいことだとして、まだ時間かかるでしょう。

アダムスミスさんは、神の見えざる手によって
市場に任せれば需要と供給がバランスがちょうどの価格がついて世の中うまく回るよと
言ったのですが、それには前提があるのをちゃんと把握していなければならない。

それは、完全競争で前提にあるということ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8C%E5%85%A8%E7%AB%B6%E4%BA%89

ということで、完全競争というのは下記の5つの条件があります


原子性:市場は小さな生産者と消費者がそれぞれ多数いて、それぞれの行動は大きな影響を他者に与えない。特に全ての会社がプライス・テイカーでなければならないことに注意。


均一性:すべての商品は同じ商品名である限りは完全に代替可能である。

完全情報:全ての会社と消費者はすべての商品の性質と価格を(他社のものまで)知っている。


平等なアクセス:全ての会社が製造技術へのアクセスを持ち、リソースや情報は完全に無料で移動可能である。


自由な参入:全ての会社が市場に自由に参入・退出できる。

どれも電力会社に当てはまらないじゃないですか。
ということを考えても、小さな政府志向だけではダメなのだと思う。
だからこそ、電力会社の国有化もそれなしにOKとも言えないかなと。

話は戻って、市場原理に基づいてないし、東電のボーナスをなくして
東電が赤字になって、社員がいなくなって、もしくは低能な社員しかいなくなって、電力が供給できなくなって困るのは、生活者だということです。

ボーナス支給額は37万ていうのはそういうことを考えても絶妙な額かなと
思います。

東京都の平均的なボーナス支給額はこちら
http://rich.rash.jp/heikinn/w-toukyou.htm

でも、僕が東電社員だったらどういうふうに動けたのだろうか。

間違いないのは、優秀な学生は東京電力には就職したくないというだろう。