Story of self

コミュニティオーガナイジングワークショップを通じて自分のストーリーが共感をうみ、活動を推進していく、そういう言葉のチカラの片鱗を感じました。
私は自分語りがとても苦手で自分の価値観(なぜその行動を起こしたのか。という疑問に対する答え)を語ることを避けてきた。

誰も興味がないと思うが、今日、私たちのやっている社会創発塾の若人に私の内面を当質問をしていただき、気付きがあったので書き示そうと思います。

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普通コンプレックス

私は2つ上の兄と1つ下の弟との3人兄弟の次男です。

兄弟の中でも一番、内気で運動神経もよくなく、どこか劣等感をもっていた子どもでした。

小学生の頃、活発な兄と弟は近くのスイミングスクールで水泳を習い、市内の大会で活躍する中、私は幼稚園児の頃にスイミングスクールで水面に顔をつけることができず、スイミングスクールを逃げるようにしてやめた記憶が今もあります。私は今でも泳げません。

スポーツが得意な兄弟と比較して、気弱で運動神経もよくない私は自分の活躍する場はきっと違うんだ。そう思って、ずっとピアノを習っていました。しかしピアノも対してうまくありませんでした。加えてピアノを習うことは女の子のやることだという周囲の目線があり、ずっとピアノを習っていることは学校の友人には話すこともありませんでした。

中学校の頃、流行っていた漫画の影響でバスケットボールに入ることにしました。。2つ上の兄は、その中学校ではバスケ部のキャプテンで風格もあり、人望もありました。そんな兄に憧れたのかバスケ部に入っていつかはそういうプレイヤーになるんだと思っていました。中学に進学すると、「土井の弟」ということで先輩からは親しく接してもらいましたが、バスケットボールはうまくならずスタメンも後輩に取られてしまいました。兄が卒業すると、今度は弟が入学してきます。「土井のお兄ちゃん」ということで後輩とも、親しくなるのですがそこでも私は中心にはいませんでした。

高校は兄弟とは違う高校に行こうと思うようになりました。学区内で一番の進学校とは、同じところには行けないので隣の学区(当時の神奈川県の公立高校は学区制度が敷かれていました)のトップ校に進学しました。おなじ中学校からきた同級生は一人もいませんでしたし、兄を知るものもいませんでした。

私は、5人しかレギュラーになれないバスケットボールをやめて、マイナーなハンドボール部に入りました。同期がみんな初心者で、切磋琢磨し合える仲間に出会いました。校風も制服がなかったり、テストの実施も生徒が決めるような自由な学校で、本当の自由を手に入れたような気がしました。新しいことを始めること、兄弟とちがうことを好きにやることの楽しみを見つけました。

そして大学受験が近づいてきました。

2つ上の兄は、偏差値が高いと言われている慶應義塾大学に進学していました。兄と同じ学校には進みたくないと思っていた私は、高校のすぐ近くにあった国立大学を志望していました。そこの受験の時に私は風邪をこじらせてしまい、雪のふるなか腹痛と戦いながらセンター試験を受け、テストを途中退室してはトイレに行った記憶があります。国立大学の受験に失敗した私は、理数系でも受けられる私立大を2つ受けて、合格したのが慶應義塾大学SFCでした。また兄の通った道に戻ってきてしまったのです。

幸いなことに学部のキャンパスは違い、学校の雰囲気も違いました。ITと専門分野を超えた学問領域を取り入れるSFCは私には、とても新鮮でした。国籍もちがったり、完全なるおぼっちゃんもいれば、いかれたAO入試ではいってくる人もいて、そこはみんな個性あふれる人ばかりでした。

そんなことを大学生のころ記事にしていただいたのが上の写真です。学生のころに作ったイベントとその論文が入賞したことを取り上げていただきました。

一部抜粋して書きたいと思います。

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”僕は普通の神奈川の県立高校にかよっていました。本当に普通の高校生だったと思います。なによりも部活に熱中していましたね・・・・でもそういうことって皆やるじゃないですか。普通だなって思ったんです。「普通コンプレックス」でしたね”

”進路に他する考え方は独特な目線を持っていた。「僕は数学がものすごく得意だったんです。本当に自慢できるくらい。でも、どうもコンピュータとかそっちには興味が持てなかったですね。それに入学してそのまま将来ががきまってしまうようなところが嫌だったんです。工学部に入ってエンジニアになっっとか、そういうのがちょっと怖くて。それで分離両方受けられるところを探してSFCを目指したんです」”

大学生のころから、私は好きなことをやりました。アラビア語を専攻して、語学研修にいったり、プログラミングと電子工作で作品をつくったり、仲間とヒッチハイクをしたり、映画を作ったり、本当に楽しかった毎日でした。新しいことや先人がやっていないことをやることは、比較することではなく純粋に楽しいと思いました。

新しいことに挑戰するときは比較するものではないと思います。今ベンチャーであたらしい事業づくりをしたり、新しい組織をつくって仲間とプロジェクトをやったりする。その原点はここにあるのだと思います。