たとえばさ

たとえば君の中に僕がいて彼の中にも僕がいて、それで僕のなかに君がいて僕の中に彼がいたら、それは素敵なことじゃないかな。

僕という存在が自己の中で完結しているものとは思わない。それは誰かを思いやるとかそういうレベルじゃなくて、ほかの生命の中に自分がいるっていうような感じ。「自分」は「自然の中の分」って意味で、自然ってのは決して”人工”と反する意味じゃなくて、僕を含めた想像力の考えうる範囲すべてをさす。

たまに思う。寝ている時の夢って誰かほかの人の考えを映し出しているようなそんな感じ。

そういう風に考えれば、すべてのことにリアリティがもてる。もっとセンシティブになれる。そんな気がした。

僕は今日はついていたんだ。まず携帯を返してくれた榎本さんの優しさで僕の心は優しさの洪水にあってしまったんだ。それから、警察にもバイクの二人乗りを注意されただけで減点されなかったし。

そういう感じです。つまりは明日は富士山に行くわけじゃないですか。僕ね。
富士山に登るのは実は3回目だけど、登ったらまたなんか発見できるのかな。できないのかな