ステレオタイパー

わたしは固定観念に縛られた至って普通の人間であると思われます。自戒

世界がyesといえば僕は迷わずyesを取っているのでしょう。
大量消費社会と巨大化したマスメディアの影響で僕たちの世代にはステレオタイパーが多いような気がする。ステレオタイパーというのは僕の作った造語なのであるのかどうか知りません。

万物を知らないから人はステレオタイパーになる。
しかし、真実に近づくには、ステレオタイプから離れなければいけないともいえる。

無知は悪だと思う。
知らないから・・・分かんないから・・・

もうぼくは成人になる。
もう大人の一員だから、日経新聞を読もう。
これもまたステレオタイパーの極めて顕著な例だ。成人式だから大人かって?そんなこたぁないとおもう。学生身分のうちはやっぱりどうしても中途半端な野郎だとおもう。
だけどステレオタイパーの僕は明日の成人式を楽しみにしていたりとする。

20歳になったら一人前という考え方も当然のようになっているがそんなことは考えてみるとおかしい。
18で結婚してこどももいる奴もいれば、いわいるNEETとなってる30歳もいるでしょう
16で初体験をした奴もいれば20歳で童貞のやつもいる。
何が悪いというわけではない。ただ10進法でものごとを考える現代人にとって区切りのいい年だってことだろう。戦中は20歳で死ぬことも当然だったんだから、今の成人とは覚悟が違うし真剣さも足りないと思う。

成人式は、1946年11月22日、埼玉県蕨市において実施された青年祭にその端を発する。(wikpedia参照)

蕨市は日本一人口密度がたかい街として有名だけどそこから始まったのが、これを作ったのがわれらが高橋一貢先生のおじさんだという話はトリビアなので知っておくといいと思う。

僕はといえば
初恋のあの子がいまはどうなってるんだろう・・・
と考えて胸を躍らせている。

座間といふ町は小さな町なので、小さな成人式が行われる。7時間後のこと