家族の風景

家族で出かける8月15日。
終戦記念日。もっぱら世間は靖国問題を話題にしているが、土井家では8月15日は兄の誕生日で何が悲しいのか、家族で祝うことになっていた。そして留学する兄と別れる儀でもあった。

家族の話は、もっぱら戦後の日本体制だの靖国問題だの、日本の教育問題だのお堅い感じの会話で、それに興じるのはもっぱら兄と私と父であった。
実にめんどくさい家族である。

自分のルーツについても考えるわけでした。

別に誰に言いたいわけでもないが、土井家はすさまじい官僚的な変人の家系だったようで父の時代には東京大学以外は大学ではない!東大に行け!的な家庭だったらしく、一流のはずの私大でも落ちこぼれをみなされていたらしい。東京大学物語をもう一度読もうと思う。

そんな教育に疑問府をうった父によって育てられた僕らは自由を与えられた。自由といわれる世界の中で等しく同じ大学に通い、同じようにオリジナリティを探し、好きなことを求めている。しかし本当の自分はきっと見つからず思考のスパイラルにはまっていく。
セカンドファーストの考えをもっていくのが健全だと思ったんだ。

まったくもって、不毛な日記である