ひびき

Mr Childrenの楽曲が昔は好きだった。
そう昔である。

なぜ、むかしは好きだったのに今は靡かないのか説明するのが難しい。

ネットサーフィンしていてミスチルの”ひびき”という楽曲のPVを見た。
シーンは入社式からスタートする。
この時点で自分の半年後を重ねてしまう。
そして高校生の恋に回想する。

入学式の出会いから、デートした日々。そして別れ。が彩り鮮やかに描かれる。

誰もがこのような経験をしている。これにまた自分の高校生を重ねてしまう。

そして締めくくりは、社会人になった2人が思い出のさくらの下で出会うところで終わる。

たしかに分かる。
分かるが、なんかなぁ。なんだかなぁ。

描かれる世界はこんなにも平坦でどこにでも溢れてるものなのかなぁ。
みんなこんなだったら、それはなんだかなぁ。

多様性と共通性。
ミスチルの楽曲が共通性に偏っているのが僕はう?んって感じなのかもしれないな。

村上龍の「すべての男は消耗品である」というコラム集は痛烈である。
ブスは論外だ。内面を磨けば顔面も美しくなるというのは大嘘だ。
という文から始まる。きわめて痛烈に批判する。

そういう意味からいうからいうと、ミスチルが描く楽曲が大衆化され、ブスの心に響いている。そして僕のような醜男にも響いている。それが虚しいのかもしれない。

虚しい。

そう、ミスチルの曲は昔は”憧れ”を感じたのであったが、今は”虚しさ”を感じてしまうのだ。