ネットカフェ難民を考える

2007年、格差社会、派遣、ニート、フリーター、さまざまな労働観を語る文脈や若者を非難するためにこのような言葉が使われてきた。

アメリカ型の経済を採用し、小さな政府を標榜して大学法人にも競争原理をもちこみ、郵政にも競争原理を持ち込み、男女関係にも競争原理をもちこみだした。

競争をすれば必ず勝者と敗者がでる

敗者は格差を是正すべきと嘆く。

しかし、その一方で「日本」という枠組みさえなくなってきている。
フラット化するグローバル化の波を受けて外国人労働者が増えてきている。

日本国内でフジテレビ社員の給料が1500万円で和民の初任給が250万だとかそういう話はおうおうにしてあるが、中国の労働者の給料と日本の労働者の給料が平均6倍も違うのに誰も文句を言わない。それが当然のように語られる。

これから、ますます労働環境は競争原理に突き動かされてしまうのだろうか?
希望的な観測もある。
アメリカの大学生の人気就職先ランキングのベスト10位以内に、非営利組織が2つランクインしたらしい。TFA(teach for america)となにかだった。
新しい労働観をアメリカは模索し始めた。

それはそうと1968年に歌われた日雇い労働者の心情をうたった「山谷ブルース」も現在の文脈で読み解くとなんともさびしげに今でも心に響く物である。