リアルな虚像

レバノンとイスラエルと赤十字の3点同時ドキュメント、非常にすばらしいと思った。NHKは民放とはクオリティが違います。

お笑いと食べ歩きだけの民放だけの放送になったら日本人みんなぱっぱらぱーになると思った。というかぼくはぱっぱらぱーになりかけている。で、さっきからその発端が気になってしょうがない。

第三次中東戦争とか本で読んでいたけど、現実味はない。

シリアに行ったことがある僕は、今アメリカが『悪の枢軸』といってシリアを叩いているのを見るとやっぱりおかしいなぁと思う。軍事的な問題と個人的な問題を混同している僕が浅はかなのだろう。思えばシリアに行ったとき、軍事施設を写真で取ろうとしたら軍人さんがよってきてやさしく「だめだよっ」って言ってくれたのを鮮明に覚えている。ダメだよってのは「ラー(NO)」の一言だった気もするが。
でもなんかそのときの空がやけに澄んでいて、街はみどりに包まれていて、アサド大統領の顔が乗っている旗が風になびいていた。

あの時もっと僕が勉強していけば、と思うことが多い。

というか、現地にいってやっと実感できることが多い。
僕はマンハッタンが島の名前だったってことも、国連がどこにあるのかも、グランドゼロがどこにあるのかも行くまで全然分からなかったし、知らなくて別にいいやと思っていた。

どこかの高校は歴史やってなかったとかで問題になってるけど今になってそういうのの重要性を実感する。

やはり「後悔、ちんぽ勃たず」である

右も左も分からない

字のとおり、私は右の思想も左の思想も本当の意味はよく分かっていない。

今日、終電で帰ろうとすると小田急は遅延がでて満員電車乗客率200%だった。
輪読本の『富の未来』を読んでいると、30代くらいの酔っ払ったちょっといい服着てる奴が話しかけてきた。
「俺もそれ読んだよ。いい本だなぁ」
「あっそうっすか」と僕

横にいる冷静な彼女が水を指す

「ちょっとやめなさいよ。話しかけるの」

「別にいいですよ」と僕

つづけて
「何してる方なんですか?」

「あっ俺ベンチャー」

ほうっそうか、こういう胡散臭いのがベンチャー名乗って富のゲームにのめり込むんだ。P&Gの説明会のバカらしさに、ぜったい飲まれるものかと思いきやそんな矢先のこと。

座間駅で降りると、小学校のとき憧れていた子が同じ電車だったようだ。
「おっ」と僕
「あっはは」と彼女

なぜか笑われる午前1時
「何よ?」と僕
「変な人いるなぁっと思ったら、(間・・・・)でしょ??」

その唐突な感じと秋の風が気持ちよかった。

誰かなぜヒズボラはイスラエル兵2人を拉致したか教えてください。

今学期

今学期に有意義だと思える授業について
1、探索的モデリング
2、意思決定論
3、不確実性と情報

この3つは面白い。
ネットワーク論、社会科学論とでもいうのだろうか、いや既存の学問領域では収まらないようだ。教授に「これなんの学問に入るのですか?」と聞いたら、「こんなこと教えてるのないからねー」といっていた。笑止!

20世紀後半以降、大学の制度化された諸学問を体系的に学習する学問モード1から問題解決のために横断的に分散した学問を学ぶモート2という知識の生産方式に変わってきているとギボンズはいう。
これは大学のマス化が原因で、ほとんどの人が大学にいくようになって知的な人間が過度に増えたために可能になってきた。

公文俊平が再来週くらい授業にくるというのが非常に楽しみである。
情報社会科学序説という本を縁あって読むことができた。この本はあと3回は読まないと理解できない部分が多すぎるのだが、知に満ち溢れている。

特に彼の言っていることで、気になったことは軍国主義では軍事力で争う「威のゲーム」が関心の的になっていて、産業時代には経済力を問う「富のゲーム」が主流だった。しかし、いまはそれも変わろうとしているという。「智のゲーム」である。知識を創発していくことがもっぱらの注目であり、主役はオタクのような存在であるスマートモブス(賢い群衆みたいなの)だ。

富のゲームについては今後、国民的関心は次第に減退していくと論じている。富のゲームという表現はいかがと思うが日本テレビのエントリーを書かねばならない。これも富のゲームだろうか。
大学での知的財産よりも発想力やコミュニケーション能力が問われる就職活動。知的生活をいかに送るかが問題となってくる。

「後悔ちんぽ勃たず」である

ソーシャルキャピタル

金子郁容ゼミの今期の研究テーマは”social capital”(社会関係資本)である。
これはつまるところ、コミュニティにおける関係性、ネットワークが実際のパフォーマンスに影響を与えていることを定量的に、定性的に実証するということである。

考えてみると、私のブログのタイトルも「人間接着剤」と歌い、関係性、ネットワークをいつのときからか重要視するようになっていた。複雑系の理論も、これとどこかしらリンクしているように思える。

情報化社会の中で、研究対象も変わってきた。

グラノベッターは直感とは違い”雇用”は比較的、弱い絆によって決まることが案外おおいらしい。

オストモという言葉を聞いたことがあるだろうか?
キャンパス内で「おぉ、元気?」とか「オッス」とか一言だけ言葉を交わすだけの友人のような人たちだ。誰もがオストモと付き合っているだろう。キャンパスはもちろん社会のあらゆる場面でそういう人間と会っている。私は、そのような軽率な関係が実は多い気がする。そういう信用ならない人間である。
高校時代、最寄の座間駅から登校していた私はオストモの檜山恭兵と電車でいつも同じになり(座間駅は急行が止まらないため電車がかぶる)通学する駅をかしわ台に変えた。
もとい檜山は友達だ。

電車でオストモにあうときまづい。あってどうしても仕方がなく話をするとなると高校時代だと予備校の話、大学だと就職活動の話、バイトだとシフトの話をする。
わたくしごとだと、そういう類の話をつづけると腹痛をもよおす。

つまり私がいいたいのはオストモのような弱い絆は就職活動に役に立つから大事にしろよということをグラノベッターは言っていたということだ。そのネットワークがソーシャルキャピタルの蓄積に貢献するということである。

郵送物

学生課から就職案内一式が郵送されてきた。
いよいよ来たかと思う。

恐怖ではなく、不安。対象が定まらない未曾有なものへの不安が募る。

しかし、それは建前上のことで僕はこの暇な連休をどう過ごそうかのことを考えている。
本を買いに本屋にいき、満月をながめてタバコを吸う。それがいいのに。

野暮なことにいろいろなところから就職の話が飛んでくる。
半澤君と会議をしようと思った。

斜めから見た世界

恩師が世界を斜めから見ている人間が好きだと言っていた。
あぁ、そのレベルになると世界は斜めから見れるようになるのか。

今日は満月だ。
お月見をしたヒトもいるだろうか。

僕は前も言っていた”未来を変える80人”という本のあとがきにあった一節が端的に今のぼくらをあらわしているようでひっかかった。

記しておこう。

彼ら(社会起業家orそういう会社で働きたいと願う若者)が求めるものは、「人生で」成功することよりも、「人生を」成功させることなのだ。
もしかすると、こうした若者たちは裕福であり、(地球上の資源の80%を消費しているという世界人口の6分の1の人間に属しており)教育を受け、自由である(法治国家、民主主義の国民である)という自分たちの恵まれた環境を意識しているのかも知れない。こうした快適な状況にある以上、この快適さを享受できずにいる人たちに対して後ろめたさを感じているのだ。確かに世界人口の6分の5のの人たちが残っている。日々の生活に追われている人たちが未来のことを考えられるだろうか。教育を受けられずにいる人たちや、ものを考えることさえ犯罪になる世界で暮らしている人たちが未来のことを考えられるだろうか。

インターネットの発展がこうした意識を加速させる。・・・(略)
自分たちの関心と別世界の人の関心を比べるうちに切迫した社会や環境の問題についてこれまで以上に意識することになったのだ。みんなが共有する未来に対して共同責任があるのだから行動しなくてはならない。という意識が若者の間で高まりつつある。政治的な力だけではこうした問題を解決できないことも分かっている。

われわれ若者が未来を切り開く。
破壊ではなく創造の学生運動を導きたい。

関係性を変える

社会起業家しかり、これからの社会を切り開く会社を作る人として、共通のものはモノ・コト・ヒトの関係性を変えることであると思う。

自動車共有システムをスケールアウトしたフレックスカー創業者ニール・ピーターソンの成功がそれを示している。
このシステムは、車の所有権を割り勘にしてさまざまな駐車場に配置しておけば自由にかつ、トータルで所有するより低価格で車を使用することができる。
いままでのヒトとモノとの関係性が変わっている。が故に新しいビジネスモデルを作り上げ、利益をあげることができている。その上、彼は環境問題にも貢献している。コトとヒトの関係も変わっている。

この変化は情報化社会だから、実現したものである。必然な現象であるかもしれない

この時代、所有することに意味はなく、利用できることが意味を持つ。
特に知識財はそうだ。音楽を所有することが価値を持たなくなりつつあるのを肌で感じる。

そんなことを、トフラーの話と結びつけて考えていた。

社会起業家

こんなくそみたいな本を読むくらいなら

この本を読んだほうが十分、仕事をしてやりたいと思う。

社会起業家という言葉をご存知でしょうか?
経済的リターンと社会的リターンの両方を追求した新しいモデルの組織を作っていく人です。
要するにお金ももうけて社会もハッピーになるための一躍を担う人であります。

情報化社会における新しい見解を、みつけられるかも知れません。

これはスズカンも読まねば社会はかたれないと言っていました。