自戒

頭がおっきくなったぼくは慢心して、自分の実力がないにも関わらず、というかないからこそ他人を見下していたんじゃないか・・・ということで本を一冊読んだ。
本の趣旨は、人間関係が希薄になったせいで誰もが自分を能力以上に過大評価して、他人をバカだと思ってしまっているという。メディアの影響(ワイドショーやなにやらで人のわるいところを流していたり、人をバカにした笑い)や個人主義の影響、価値観の多様化もそれに伴っているととく。

甘い自己認識、社会認識で「何をしても生きていける」と考える若者が多い。(P112)

僕の中にもそういう感覚があったりするし、納得するところも多かった。
しかし、筆者の視点はいかにもおっさんの考えそうなことで、メールは顔を見せないからダメみたいな感じのふしもあるし、メディアがダメとか、保守的な考えがモトになっていると思われる。

勉強できなくても他の才能があるよ
といった教育はきっと間違いではないけど、みんな凡人なんだよと説く教育も必要だとも思った。
といえども、それでも私は他人と違った才能があるのではとどこかで期待している。それはおろかなことなのでしょうか。

他人を見下すのではなく、それと同様なくらい長所も若者は見ているとも思うんだ。
チームプレイをする運動部ならそれぞれの個性は分かり合え、認め合える。そして、ダメな部分も露呈される。サイドシュートはうまいけどディフェンスがダメ。プレーにきれはあるけど、コミュニケーションがダメ。
地味だけど、我慢強い。

若者の行動の一面だけを捉えて、「さいきんの若者はなっとらん」じゃ進歩はない

その若者を下に見て、議論を進める筆者に反論したい。
頭を冷やして、愚痴こぼしながら、大人の知恵を身につけよう!

スーパーオリジナル

アイデアは既存のものの組み合わせでしかない。
自分が考えたオリジナルも自分が育った環境の組み合わせからできたものであるんだろう。

昨日、ハンドボールをした。
実力がない分、キャラでカヴァーしてみなさんハローハローと言ってご挨拶してきたわけです。
先生は相変わらずだった。

先生の名言集にひとつ追加された言葉
「3位以下は全部どんぐりだ」

先生は”段違い”のことを”ダンチ”といい、”絶妙”のことを”ゼツ”という。それから”チームプレイ”のことを”チンプレー”という

「法政二高は県でもダンチだ。あそこのチンプレーはゼツだからな。。。。」

みたいにいう。
ふっと空を見上げると桜が舞っていた。

友人と八ちゃんラーメンを食べた後、何にもない午後を堪能した。

友人のひとりは旅立った。さよならストレンジャー

拝啓 みなさま
元気ですか?
僕は相変わらず、青空の下を口笛を吹きつつ歩く日々を送っています。
無茶はしていません。
今日つくしが生えているのを見つけました。いつも通る道です。春はやってきました
でも僕は秋の方が好きです。
新しい出会いの季節です。後ろ向きの人生はそれもそれで楽しいものです。
人生が楽しくてしょうがないしょうがないしょうがないと3回連続で叫んでみると、毛虫が僕にこういいました。
「その幸せを僕らにも分けておくれ」と
毛虫はそういうと蝶になってエジプトの方角に飛んでいってしまいました。
僕は翼の折れた牛です。
牛年にうまれました。アメリカはやはり狂牛病を深刻に捕らえていないようです。食の安全を唱えた大統領の名前を思い出せません。

ロックでもレゲエでもいいので、僕は踊ります。
踊った拍子に転ぶでしょう。転ぶのは僕じゃありません。大地です。僕が踊れば、地球が転ぶんだ。
地球のかなたに何が見えてもそれは見ているのは地球にいる僕の小さな2つのお目目なのできっと真実はもっとカナタにあるんだろう。

目から涙が流れていった。それは嘘。いつわりだらけ。

それでは僕はNHKで放送テロをしにいってきます

春に読んだ本

身の回りのことを精神科医かなんかの筆者が分析していて「たしかにそういった行動を取る」とか「それにはそういう意味があるのか」とか自問自答した。
よく言われる「最近の若者は・・・」という話ではないから安心です

僕らが持っている時間観がニュートン以来出来上がったものだと知る。
時計が刻むように一定方向に進む時間だけが時間なのでしょうか
古代の数学者からはなしは始まり、時代によって違った概念が考えられていたんだと知る。時計を作りたいという単純な動機から始まった一連の流れで時間について考えたが、春は時間の流れが単調だったようなそうでないような・・・
難しすぎて読破はしていない・・・・

いかにも偽善的なタイトルだけど、そうじゃない。
UNIXのオープンソースやら、今までの経済では考えられなかったことが現に起こっている
そういうモチベーションをいかに保つのか。とかそういう話に触れている。
ぼくはホモエコノミクスじゃない

コンビニで時間つぶそうと思って買った本。
受験期に読んだベストセラー「バカの壁」の第2作。
中に書いてあることはあんま変わっていない。大事なのは個性じゃなくて和を乱さない教育。社会に適合するようにプログラムされていると思った。わーわー騒ぐことじゃない。
意識の壁をくずしていこうと思う

これは秋学期につくった”心拍で動く時計”の根本となった本でした。
エネルギーの消費量で、生き物の感じている時間は違うのではないかということがいわれている

時間は体重の1/4乗に比例する

難しい言葉で書かれていて理系に好まれるでしょう。ネズミはセカセカと生きていてゾウは悠々と生きているんだとか。ちっちゃい奴よりデブのほうが遅いのもこのせいかな??

でも、みんな同じ時間を共有していても感じている時間は違うということはいえると思う。
腕時計が売れなくなってスローやロハスといわれる社会にもう一度時間を考えるひつようはあると思うんだ。

斉藤さんと田島さんと話していて、とりあえず読んでみようと思った。
大きな目標が無くなってるっていう話と、データベースで物語を汲み取るという現代人の傾向をオタクを分析して書かれている。
たしかになーって思った。身近な話に落とすと、音楽を聴いていても「やれ、これはどのジャンルで誰が歌っているか」とかそういった話になってそれは新しい音楽をデータベースで理解しているってことだろうなぁって。そんでそれの組み合わせで新しいものができるのかとか

手に入る虚像の快楽「萌え系のディスプレイに表示されて思い通りに動く彼女」か
手に入るかどうか分からない「得体の知れない人間の彼女」か

オタクを敬遠して、彼らを気持ち悪い変人たちと思っているバカは僕だった。
身近な話に落とし込めば同質の人間でしょう。

手に入る虚像の快楽か、それとも無二乾燥な現実か・・・悲観的だなぁって書いてて思った。
大きな目標を得るための学生生活のはずがんばろう

原点回帰。
来期はリーダーシップ論を受講しようと思う。

宮台真治はメディア寺子屋に来たこともあるらしい。
一問一答で痛快だったわ。知りもしないのに否定しているものが僕には多いことがある。だからそういうことはやめようと思ったわけであります。

起業家の人生をいくつものエピソードで紹介する本。
新規事業を起こすのに、お金儲け以外のベクトルから始まる事業に純粋にあこがれる
次の学期の目標だ

上に同じや

ひょんなことからうちに1?3巻までやってきました。
ずっと前にテレビでやっていたような気がします。子供を単純に描いていてなんかくだらないなーっておもいきやけっこう読んでしまいました。4巻以降も今度マンキツで読もうかなー

コミュニケーション力。
これは僕は自分では優れていると思っていたけど、ちゃんと考えてみよーということで考えてみる。

昨日の話
NHKの深夜のバイトで、4千円くらいのバイト代なのに、終電を逃したので話してみるとタクシー券をもらった。渋谷のNHKから自宅までタクシーで帰宅する。
そのタクシーでの出来事なのですが、なぜかタクシーに運転手が2人乗っていた。乗って気づいたのだが、タクシーの教習中で上司が助手席に座り運転手に道を教えながら、やっていた。

最初は気まずいだろーって思ったけど、ここはコミュニケーション力が試されるだろうと思って深夜の運転の話やら、事故の話、タクシー業界の話と話題を振ってみた。

教官の上司のほうは乗ってきたけど、運転手は気が滅入っていた。246に入ってくれといったのに細い道を曲がろうとして怒られたりしている。この新人の運転手はなにやら山形出身で東京の道には精通していないようで、運転もおぼつかない。
タクシー運転手の年収は約400万。NHKは1000万。僕のバイト料金4000円。深夜のタクシー代1万4000円。
よく分からないけどお金は本当に考えれば考えるほど分からない。

田島さんに借りたままの本。
深澤直人の方法論がつらつらと書かれている。
共感する部分とそうでない部分があった。
ともあれ、最近のプロダクトってシンプルな感じでどれも実は似てるような気がするような

鞠子さんに借りてる本。
男に生まれてきてなんかすげーごめんなさいって感じです。
ちんこぶら下げてそんなに何やってんだかとかまー女性万能主義が書かれている。うちの家庭も保守でぼくもいつからか保守だなーって思う。
ただヨーコオノはジョンレノンの夫だからすごいんじゃなくて彼女はすごいからすごいと思うんだ。彼女の思想をその時代に持っていたのがすごい。

これもあたりまえだと思っていたことを疑う契機になったと思います。

エコについて考えます

海賊王に僕はなれない

ぼくは泳げない。カナヅチです。
どっかで悪魔の実でも食べたんじゃないかと疑う毎日です。

読んだ本をアフリエイトにしました。あこぎな商売ですわぁ

うかい鳥山

今日はテイクオフラリーたる卒業生のパーティーが都内某所で開かれた。
わたしは招かれざる客として参加した。
機材の指示を隅で出していた。

機材を動かすのは、おっさんで、指示を出すのが僕。
ふたりの息は合っていなかった。

おじさんは僕のいったことを3秒後に行動に移す。そして、指示に対してこうしたほうがいいとかああしたほうがいいだとかいってなかなかやってくれなかった。
僕は最初はイライラした。
その次にこの人は仕事にプライドを持っているんだと思った。

そのあとにマイクが足りないとかで問題が発生したときに、先輩がイライラした態度でおじさんにつよくあたった。それは当然のことだった。
「マイクは5本つかうといったじゃないですか?用意してください。」

「いや端子の数が限られているからできないんです」

「なんとかしてください」

おじさんが可哀想になったあと、なぜかいとおしい気持ちになった。
この感覚は、ちょうど高校生にもなってお母さんが作ってくれたナップザックを大事に使っているクラスの子をみたときに感じるあの感覚にちかい。

彼に感謝の意を伝えることが今日はできなかった。

うかい鳥山に昨日いった。
家族でいったんだ。弟の合格祝いということで行ったんだ。本当は最後の家族旅行のつもりが食事をしただけにとどまった。理由はいわない。

僕の家族について書こうとは思わない。

自分の家族の話は苦手だからだ。

でもちょっと大人になって会話のレベルがあがった。
父親の影響は大きいとおもった3月の祝日だった

ココ最近のことごと

春休み後半戦はしきりに忙しかった。
MOVEの追いコンの準備は大変だった。でも僕が大変だと思えたのは、それはいいものを作ろうというみんなの共通の意思であり、何も強要されていないことだった。

ぼくは本当に思う。
これが偶然であれ、なんであれ、僕のまわりにいる人たちはすばらしい人たちだと思う。

もしも違った選択をしていたら、それは違った人たちに囲まれていて、それが最高だ!!とか言っているのだろうけれども僕はそういうことは考えても仕方なく、とにかく最高の人たちであふれているんだ。

追いコンという通過儀礼的なモノに時間を費やしてくれたみなさんにただただ感謝するばかりであーる

そんなわけで、4年がいなくなるといよいよ僕が3年なんだなぁっていう実感が沸いてきた。
3年目は、自分としての方向性も固まりつつあるわけだし、邁進できると思える。
2年間、好奇心の塊で奔走してた分、苦手なことも好きなこともまぁまぁ分かっている。

そういう気分で毎日おくれたらすごくステキな学生だろうなぁ

たぶん3年の春より、3年の秋のほうがすごく残り少ないなぁって思うんだろうな

今日は、カメラを学校に返しにいって、1年ぶりくらいに八百藤という農業サークルにいって、畑を耕してみたりした。

飲み会にもそのままちゃっかり参加して、みなさんの顔をうかがってみた。
素朴な感じがステキだなぁって思った。好きになった。

野菜にとっての幸せってなんだろう?

”畑で育つ野菜”と”野生で育つ野菜”
どっちが幸せか??

幸せの定義が十分でない今その問いに答えることは到底できない。
しかし、自分が三角州の肥沃な畑にいるだろうことはわかるんだ。だから、どうしようか。どうしようか・・・

そして、今日は小学生、中学生の卒業式が各地で行われていた。
花を胸にさした学生をみて、あのころを思い出した。

ふっと訪れた些細な幸せなにおい。

花粉症だか不感症だか知らないがこの時期はすごくあいまいだったのだ

いよいよやばくなってきたぞ

あんなに2月暇だったのに、今はなんかいそがしいわ
バイトがいっぱい入れちゃったのも間違いだったかな。

テンパってきたテンパってきたテンパになってきた。

髪がそろそろ坊主というには長すぎるようになってきました。

if(僕=髪をそる){
  当分彼女ができなくなる
}else{
  彼女ができる

ということで、中村獅童みたいな髪型になるまでまつことにする。

劣等感

劣等感、誰しもが持ったことがあるのではないでしょうか

私は中学生まで逆上がりができませんでした。体育の時間が苦痛で仕方ありませんでした。
クラスの全員ができて僕だけができない状況でぼくは自分が欠陥品ではないかと思うこともありました。

今では笑い話ですが、ぼくは泳げませんでした

部活なんかやってるとできないプレーがあったり、走力で抜かれたりすると劣等感を感じたりします。

でも劣等感が上達につながるんだとも思います。

はやく外国人nの彼女ができますように

期待と必然性

与えられたチャンスを生かさなくては、チャンスを与えられた存在そのものが否定される

ぼくがやってきたことはすべて必然のことだったんだろう。

だから今ぼくがやらなくちゃいけないことも必然だ。

なにが言いたいかというと、「大學まで通えている自分を生かすも殺すも自分次第」といっている場合じゃなくて、「生かさなきゃ殺されたほうがましだ」ということか

大学では遊んどいたほうがいいよ

なんて今のおとなが悟ったように言うのに腹が立つ。

決まったようなセリフ、そぶり、お決まりの趣向趣味、そんなどこにでもいるようなコピペみたいな大人にはなりたかーない。
ドロイド化されるのは今だ!気をつけろ!